いじめ


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    941: 名無しさん@おーぷん 2016/08/30(火)11:09:39 ID:AZq
    上の学歴の話で俺も思い出した

    高卒:大卒の割合が4:6ぐらいのわが社
    成果主義なんで頑張ってれば待遇に差は無いが役職などの出世をしていくのはやはり大卒が多い

    俺は事情があって高卒組なんで頑張って、何とか平より少し上の役職につけた

    そんな時、とある後輩が中途で入ってきた
    そいつも高卒らしく歳もそんなに離れてないので意気投合
    会社の現状も話し、「高卒組でも頑張っていこうぜ!」とか酒の席で話していた
    後輩も一緒に、今思えば曖昧に笑っていた

    その後、後輩が実はそこそこの大学の中退だという事が分かった
    何でも先の大震災で実家が大変な事になってしまったらしく、通えない状況になり四年次の始めにやむなく中退、となったらしい

    俺は事情があって大学すら行けなかったのに…陰で大学行ってた癖に高卒組と同調してたのかよ!
    と怒りに駆られた俺は、後輩に仕事を与えなかったり、わざと難しい仕事を丸投げしてミスさせて叱責したり、社内に悪口を吹き込んだりと色々してしまった

    結局後輩は神経を病んで辞めていったが、俺自身でも気づいてなかった学歴コンプレックスの酷さに衝撃的だったし、大学歴を隠していた後輩には神経分からん話だった


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    489: 可愛い奥様 2011/01/09(日) 00:33:50 ID:E0djzPIv0
    関東から関西に引っ越した時、言葉が違うせいか「ぶりっ子(タヒ語)」と
    言われ、すごいイジメを受けた。一生懸命関西弁を使おうとしても、
    「アクセントが変」と更に嘲笑を受けるだけ。

    教科書落書き、私物を捨てられる、一言しゃべるたびに「言葉が変」と
    嘲笑されるので、言葉が出なくなってしまった。喉に何か詰まったみたいに
    なって、授業中、朗読の番が回ってきても、声が出ない。全てを否定された。
    構内を歩いていたら、上階からいきなり水をかけられたり・・・
    ノートや教科書には「タヒね」のラクガキだらけ。

    もうダメだ、タヒぬしかないと思いつめ、何度も自サツを図るが未遂。
    飛び降りるためのビルを探して徘徊したけれど、警備員に見つかったり
    屋上に入るドアが施錠されたりしてて、有効な自サツ方法が思いつかず
    ズルズル生きていた。親は、必タヒで担任や教育委員会に掛け合ってくれたけど
    「チクった」と言われ、更に水面下でエスカレート。痣が絶えない状態だった。


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    730: 730:2011/08/27(土) 18:03:29.77 ID:eKz1w9J/0
    ネタくさい話。正直、俺も当事者じゃなかったら信じない。

    実は俺、中学の時にタヒのうと思ってたんだわ。スッゲーいじめにあってて、教師も見て見ぬフリ。両親はW不倫で俺に興味ナシ。身体中に痣があって、その日は顔もボコボコで、もう息をするのも辛かった。

    で、結構な田舎だから、定番の『入っちゃいけない場所』があったのよ。ヤンキーとかも、なぜか入らない。本当に触れちゃいけない場所だったんだと今では思う。

    張り巡らされていたロープ…というよりは、なんか変な紙の塊が帯になったものをくぐって、道なき道を歩いていたら、少し開けた場所に出た。


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    289:
    おさかなくわえた名無しさん 2013/07/09(火) 14:48:00.04 ID:7oHiCwnd
    ほとぼりも冷めただろうからと、初めて中学の同窓会に行こうと思った。

    今週末に同窓会なんだけど数日前に、辛うじて覚えがあるAさんから封書が来て
     
    「私は誰某に苛められて、今でも人間関係にPTSDがあります。貴女もクラスで無視されてたから今まで来られなかったのでしょう。他にBさんCさんも賛同しています。一緒に加害者達に謝罪させませんか?」

    という内容だった。


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    334:
    愛とタヒの名無しさ 2012/01/13(金) 15:39:38.27
    新郎が刹人で少年院上がりの結婚式。

    いじめの延長で同級生を刹してしまったんだが、
    少年院を出た後は大学まで出て、しっかり社会人になって結婚、式を挙げた。
     
    その結婚式に、刹された被害者側の親とその取り巻きみたいのが
    乱入してくるという前代未聞の式に遭遇したことがある。

    恨みを抑えながら、加害者側が幸せの絶頂の時期になるまで我慢していたのだろうか。

    「ご結婚おめでとうございまーす」

    とか言いながら乱入してきて、皆にはサプライズの人か?みたいな目で
    見られていたが、ズカズカと司会者に向かっていってマイクを奪い、加害者側と被害者側の関係を説明。
    その後もいろいろあったが、一番印象に残ってるのは、


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    56:
    1/2 2006/09/15(金) 14:25:06 ID:WpiV+Vpb
    私が小学校6年の秋あたりだったと思う。弟(小4)が泣きながら帰ってきた。 
    ランドセルは刃物でボロボロにされ、顔は変形するほど殴られ、体も黒や赤の痣だらけ。

    「親には言うな」

    と口止めされてるらしく、何があったのか怯えて言わない。

    私は警察に行こうと言ったが、子供の喧嘩で警察なんて…と両親は動かなかった。 

    私は子供なりに考えて、弟に

    「親には駄目だけど、姉ちゃんには言ってもいいし、言うのが怖いなら手紙ちょうだい」

    と言ってみたら、すぐに弟は手紙を書いてきた。

    読んでびっくり、私と同クラスのバカガキ集団にリンチされたと書いてあった。 
    それが長期間に渡って行われているとも。根性焼きまでされていた。

    体育館裏がバカガキ集団の溜まり場なのを知っていたので、私はそのまま学校まで走って行った。


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    370:本当にあった怖い名無し@\(^o^)/2015/02/08 03:47:18.12ID:Nf5kxkvk0
    書き捨てしていく。何年も前の話だ。フェイクは入れてる。

    兄貴が自サツした。理由はいじめ。兄貴は優しい奴で、何でも引き受ける奴だったけど、ある日を境に虐められた。理由は女子に対する嫌がらせをAに止めるように言ったからだ。

    それからは、Aが毎日兄貴を隠れたところで、殴ったり蹴ったり言葉で兄貴を追い詰めてたみたいだ。まぁ、俺がそれを聞いたのは兄貴のタヒ後だったけどな。兄貴のクラスの奴らは誰も助けてくれなかった。兄貴の友達だと思ってた奴もそんな奴らだった。

    俺が学校から帰って来たら、兄貴は首を吊ってたわ。それが原因かは知らないけど、俺の家は崩壊した。

    父→母を責めて、その後離婚。
    母→父に責められ、それを苦に自サツ未遂。重い障害が残る。
    俺→施設行き
    弟→施設行き(俺とは違う)

    そんなもんで家庭は崩壊した。兄貴がいる頃は笑顔が絶えなかったと思うし、戻れるならあの頃に戻りたいもんだ。

    俺は高校卒業後、すぐにAの足取りを追った。俺はあいつを◯したくてしょうがなかったからだ。


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    856: 名無しさん@おーぷん 2016/05/07(土)20:01:04 ID:sW7
    私個人がした仕返しじゃないし、自業自得な部分もあるんだけど。

    姪っ子が中学でいじめられていて、学外で自転車のサドル部分を燃やされた。
    一人暮らししている私のアパート(姪の家からチャリで2キロ程の距離)に来て
    泣きながらサドルが欲しいと言われたので、事情を聞いてさくっと被害届提出させた。


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    234: 名無しさん@おーぷん 2014/11/25(火)15:27:51 ID:1tn
    個人的にスカッとした復讐。

    昔いじめてきたやつが、そのことを謝りたいと言ってきた。
    選挙に出るとかで、昔議員をやってたうちの親から悪評が伝わるとマズイと思ったんだろう。

    許す気なんかこれっぽっちも無かったが、日時を指定して、こっちから出向くという条件でその話を受けることにした。

    当日、玄関から出てきたそいつは俺を見て血の気が引いた顔をしてたよ。
    俺が小学校から帰ってきたそいつの子供と一緒にいたんだから。
    日時を指定して向こうの家に出向いたのはそのため。
    偶然子供と会ったという形にしたかった。

    その場で、子供の前で自分が何をやって何を謝るのかを全部説明させた。

    「ここで、子供の目の前で自分のやったことを言えるなら許してやる」
    と言うと、


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    698: 名無しさん@おーぷん 2017/01/04(水)15:11:35 ID:mnM
    母親がやったことだけど。
    叩かれるかも…というところがあるかもしれません。

    ドがつく田舎の小学校に通っていた時に、些細な理由でいじめられてた。
    一年生の頃から「チャックの筆入れを使ってるから」など本当にしょうもない事でターゲットにされ
    女の子グループで固まって、無視や陰口、たまに上履きの中に画鋲を入れられたりした。
    暴力がないだけましだったのかもしれないけど、人数の少ない学校だったからかなりつらかった。
    親や先生に相談して、形だけの話し合いの場が持たれたことは何度もあったが、
    喉元すぎれば…ですぐに再発。しかも内容がさらに陰湿になる。どうしたって無駄だと悟った。
    四年生になった頃、とにかく同じ中学に行きたくなくて、他の市の中学に行くために受験勉強を始めた。
    地元から離れた塾に通いだし、勉強で忙しくなると、学校でのいじめがあまり気にならなくなってきて
    何をされてもスルーし、男の子と遊ぶようになった。(男子は女子の事には関せずの立場だった)
    私が好き勝手するようになると、いじめられたくなくてグループに属してた気の弱い女の子たちが
    一人、また一人と徐々に私と男の子のグループに混ざってくるように。
    いじめられた事を許したわけではなかったけど、いじめっ子側に回るのは嫌だったので一緒に遊んだ。
    気が付けばほとんどの女の子は私や男の子たちと遊ぶようになっており、ボスとその取り巻きたちはポツン。
    ボスたちをいじめ返そうと私を煽る子もいたけど、私のやる気がないことを悟ると何も言ってこなくなった。

    一方の受験勉強の方は、見返してやる!という意気込みが功を奏したのか、思いのほか学力が伸びて
    県内で一、二を争うくらいの国立中学校に合格することができた。(これにはいじめっ子たちに感謝している)
    いじめもなくなったし、良い中学に進学できるし、友人もたくさんいるしで、
    私の中でいじめの件はもう片が付いたことというか、過去の事という扱いになっていたのだけど
    ずっと娘がいじめられている様を見ていることしかできなかった母は、一矢を報いたかったんだと思う。
    受験勉強が大変だった私の代わりに、卒業文集に載せる作文を母が代筆してくれたんだけど
    その内容が

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