奴隷


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    390: 可愛い奥様 投稿日:2013/10/09(水) 13:35:01.66 ID:luaGCKPH0
    夫の家政婦兼性.処理係になっています
    発端は私の浮気が原因なので多少のことは我慢するつもりでしたがもう限界。
    興信所を使って証拠を突き付けられ、離婚寸前までいきましたが
    泣きながら謝罪し、再構築を懇願し条件付で受け入れてもらいました。
    夫の出した条件は半年間、夫の言う事を何でも聞くといったものでした。
    それからの生活は以前と激変し、お小遣いは10万>0


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    4:名無しさん@おーぷん2016/10/11(火)18:08:09ID:bcv
    友人Yはバツイチ。15年ほど前結婚し、2年目に嫁が妊娠。妊娠中に離婚した。
    理由は子供が生まれるのが怖くなったから。
    子供が生まれたらこの先20年子供のために奴隷しなくちゃいけないのか
    俺の人生って何よ?と思ったら怖くなったらしい。
    それを正直に嫁さんに申告し、嫁さんは「お腹の子のために結婚生活を続けよう」と懇願したが
    Yが受け入れなかったため離婚になった。
    この騒動でYは友人の大部分をなくした。

    しかし俺は「Yの人生なんだからそれもいいんじゃねーの」と賛成も非難もしなかった。
    その後Yは独身を謳歌し続けていた。

    しかし


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    133: 名無しさん@HOME 2017/10/10(火) 20:26:15.47 0
    長文注意です。

    同居の元ウトメ&元バカ旦那にいびられ毎日朝4時にトメの怒声で起こされ家事掃除ウトメ自営の手伝いを日が暮れるまで無給でやらされていた。旦那からの生活費もなかった。
    旦那は働きに出ていたから「俺まで4時に起されたら仕事にならない」と同居して2週間で私の寝室は2畳の物置になった。

    義実家敷地内の工場みたいな場所で食事の用意の時以外ずっと昼間でも暗い豆電球ひとつ、エアコンもない。
    夏はネ果になっても全身あせだくでひどい汗疹になり、冬は土下座して貸してもらった石油ストーブ(灯油をもらう時も頭を下げてお願いしなければ貰えなかった)で1日3人分ほどの作業ノルマをこなした。
    暗い、臭い工場に一人でいるので(ウトメの作業場は別)ウトは私をモグラと呼んでいた。

    食事も味噌汁のカス、運が良ければ漬物と米を1日2回だけだった。
    傍目から見てもガリガリだったと思う。トメの口癖は「こんな鶏ガラ抱く気にならんやろから孫はみれんねぇ!あーあ!ハズレくじひいたじゃ」。
    それを元旦那とウトやほかの親戚の前で言われると毎回恥ずかしくて消えたくなる気持ちだった。

    ある日トメの機嫌の悪い日にお客に出すからなんかお菓子買ってこいと無一文で放り出された。買ってこれず困る姿を見たかったのだろう。

    このいびりはトメのお気に入りでどれだけお金がないんですと言ってもあとから出してやるから早く行け!!と追い出された。それが真冬でも台風の日でも。

    しかしその日は何故かお金も持っていないのに街まで歩こう、と思った。
    出発した時小雨が降っていたがあの工場にいるよりいいやと思った。

    すみません、続きます

    にゃんこ速報:名無しさん@おーぷん 2015/08/14(金) 21:50:09 ID:i29
    もやもやするけど、私が我慢するところなんだろうか
    結婚するとき旦那に婿入りしてもらった
    けど旦那の実家がお盆は帰ってこいというから、自分家の墓参りを諦めて毎年旦那の家に行ってる
    そして毎年旦那実家の手伝いしてる
    今年、旦那の兄が実家にはじめて戻ってきたので義兄嫁と初の対面をした
    実家の人たちは兄嫁を蝶よ花よと可愛がり、ぐーたら寝転んで動かない義兄と義兄嫁には何の手伝いもさせない
    逆になんとか仕事を有給とって旦那の休みに合わせ、夜行バスでむりくり実家に駆けつけた私には手伝いを頼む
    手伝うことは嫌じゃないし、お客様じゃないんだからかまわない
    でも寝不足と体調不良でフラフラなのに、義兄たちの子どもの面倒まで見ながら義兄たちの散らかしたものを片っ端から片付けさせられることに納得がいかない
    自分たちのものを片付けさせてるくせに、私の邪魔をする子どもをとめない義兄たちにもモヤる
    一息ついた私に子ども託して「子どもいるとできないから」ってデートに行くのもモヤる
    私は旦那とデートどころか、一緒に座ることもできない
    旦那は私を手伝おうとしてくれるけど、手伝うと「あんたは嫁の下になっちゃダメ」と実家の人間から旦那が説教くらって面倒なため、旦那には私からお願いして座ってもらってる
    旦那も申し訳ないという気持ちからお盆前後はすごく労ってくれるからいいんだけど
    日曜までこんな日が続くと思うとげんなりする
    旦那は私だけ宿とって外で寛げるようにと考えてくれたけど、京都だし観光地だしで、宿代馬鹿にならないから私が耐えるしかない

    にゃんこ速報:名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土) 12:08:14 ID:Uxw
    叔母(母の妹)は20だか21歳で結婚した。
    叔母旦那は、叔母の高校時代の体育教師。
    結婚即同居で、実家には要介護の曾祖父母、まだらボケの祖母、膿家脳な両親、出戻り小姑(姉)、家事手伝い小姑(妹)。
    叔母夫婦を入れて総勢9人の大家族が築ウン十年の借家にひしめき合っていたという。

    叔母の両親(=私の祖父母)はもちろん結婚に大反対したが
    反対されればされるほど叔母は燃え上がり、
    「愛さえあれば苦労なんて何でもない」
    「愛ですべてを乗り越えてみせる」
    「お金お金って、お父さんもお母さんも汚い。こんな人たちが親なんて恥ずかしい」
    と啖呵を切り、相手の家に転がりこんで入籍。

    9人家族のうち働いているのは叔母、旦那、舅だけだったが舅は50代で早期退職してしまった。
    家事はすべて叔母の役目。介護はかろうじて姑も手伝ってくれたがメインは叔母。
    出戻り小姑と家事手伝い小姑は何もしない。
    そのうち曾祖父母は亡くなったが、出戻り小姑が誰が父ともわからぬ妊娠。その子の育児も叔母の役目。
    旦那は帰ってこなくなり、生徒と恋愛沙汰を起こすこと2回。
    県内ではあるが僻地に飛ばされ単身赴任。
    叔母は徘徊のひどくなった祖母の介護と、家事と、仕事と、出戻り小姑の子の育児に追われ
    ストレスで80キロ近くに太った。

    以上は叔母の愚痴と、私母の回想を繋ぎあわせた話。
    叔母は現在50代で、すっかりDQNに育った小姑の子と、ボケはじめた姑の世話に憔悴しつつ
    まだ「愛さえあれば苦労なんて何でもない」と言ってる。
    自分の子はいない。

    私と姉はそんな叔母を反面教師に育った。
    姉は「あれは恋愛教の信者だ」と言い、「恋愛はいいものだと思うけどそれのみで目を曇らせちゃだめだ」と
    姉妹で語り合って育った。

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